キン肉マンのジャンプ本誌掲載順の推移

ジャンプ情報局さんの掲載順位データを使って、『キン肉マン』の掲載順をグラフにしてみました。

1979年22号から1987年21号までの全389回。休載中の1985年39号から49号までは再録が掲載されていましたが含めていません。

前半は全体に振れ幅が大きいですが、よく見ると上位に掲載されているのはほとんど2位です。これはおそらく、

その上、原稿料が少ないのに配慮して、編集部がギャラの高い2色ページを多くふってくれたんですよ(笑)。

このような事情によります。

滑り出しは順調で、1980年の初め頃最初のピークを迎えています。超人オリンピックが決勝トーナメントに入ったあたりですね。この後決勝のロビン戦あたりから下降を初め、80年後半のアメリカ遠征編で人気が低迷したのはゆで先生がよくインタビューで述べている通りなのですが、実はその後も掲載順の降下は続いていました。テコ入れのために始めたはずのザ・ビッグファイト編(2回目の超人オリンピック)でも回復せず、1981年36号のウォーズマン戦開始からは3週続けて14位というどん底にいます。

勝戦の後半あたりからようやく上昇に転じ、悪魔超人編から黄金のマスク編にかけて順調に順位を上げていきます。1983年前半、五重のリングからキン肉マンアシュラマン戦あたりでは3位に掲載されることも多くなり、万全の状態で4月開始のテレビアニメに繋ぎます。1984年以降からはすっかり上位で安定して、1986年前半までは6位がわずか2回であとは全て5位以上、しかもこの時期のライバルというと『北斗の拳』『キャプテン翼』『ドラゴンボール』といういずれも伝説的な人気作。特に前二者はゆで先生も意識していたようです。

― 少年ジャンプの黄金期を支えた2作品ですが、お互いに影響を受けた部分などはありましたか?
 ジャンプでは読者の人気投票というのがガッチリありますから、ちょっとでも気を緩めると(人気ランキングを)抜かれちゃうんですよね。今の上位は、ある程度固定しているみたいですけど、当時は『北斗の拳』だ、『キャプテン翼』だ、『キン肉マン』だっていう風に毎週変わっていたんですよ。

嶋田: 『キャプテン翼』とか『北斗の拳』とかの人気が出てきて。
中井: とにかく毎週がライバル作品との戦争でしたからね。

1986年後半に入り、王位争奪編の対フェニックスチーム戦が開始したあたりからは下降を始め、以後回復することなく1987年21号の最終回を迎えます。最後の方は後半が定位置で、19号では後ろから2番目という寂しさ。それでもきっちりと完結できたのだからジャンプ漫画としては報われた方なのかもしれません。連載終了の経緯については、ゆで先生は

当時のジャンプでは、連載は人気の高いうちにやめるのが美しいという美学があったんです。

嶋田: ところが「王位争奪編」が思った以上に時間がかかってしまったんですよ。途中で僕が腰痛で入院したためさらに長引きましたからね。それで「人気があるうちにカッコよく終わろう」と、大増31ページで最終回を迎えることにしたんです。

あちこちでこのように発言されてますが、さすがにこれは記憶の美化でしょうね。ちなみにテレビアニメは1986年3月からオリジナルの「ザ・サイコー超人の挑戦編」、4月に時間帯移動して火曜日19:00からに、9月に終了しています。掲載順の下降とシンクロしているようにも見えます。

個人的にはビッグファイト編がどん底だったというのがちょっと意外でした。アニメが始まってからの人気はさすがのひと言。王位編は緩やかな下降だったと思いこんでいたんですが、実はフェニックス対ソルジャーまでは順位を保っていたんですね。